【神商連しんぶん2017年09月号】
  • 核兵器禁止条約を力に 核兵器廃絶を! 2017年原水爆禁止世界大会

    原水爆禁止2017年世界大会(長崎)が8月7日から9日まで長崎市内で行われ、8民商と県連から16人が参加しました。全体では開会総会に6000人、閉会総会に7000人が参加しました。今年の世界大会の特徴は7月7日に国連会議で122ヶ国の賛成で核兵器禁止条約が採択されたことを受けて、新たなステージに立って、「ヒバクシャ国際署名」を広げようと呼びかけられました。そして被爆者、海外の政府代表や運動団体、全国の草の根で運動している参加者が一体となって、廃絶に向けた運動を大きく広げようと熱気みなぎる大会となりました。

    開会総会では主催者あいさつに立った世界大会実行委員会議長団の安藤育郎さんは「核兵器禁止条約はパワフルだがパーフェクトではない。ヒバクシャ国際署名を広げて、条約をパーフェクトにし、廃絶を実現しよう」と訴えました。海外の政府代表のあいさつに続き、発言に立った国連軍縮問題担当上級代表の中満泉氏は核兵器禁止を法的に拘束する条約の意義に触れ、「廃絶へ向けた合意をつくり、連携を強めよう」と訴えました。

    活動報告では、被爆者の呼びかけで原水協、原水禁、生協連など従来にない幅広い団体が結集して被爆者署名を進めている東北六県の経験、安倍首相の安倍首相の地元山口からは130万人の人口で100万の目標を目指す署名運動への決意が延べられ、「政府が条約に署名しないなら、国民の力で政府を変えよう」と多くの人が発言をしていました。

    平和行進の通し行進者の紹介と訴えがあり、1日目の総会が終了しました。

    2日目にフォーラムや特別集会、13の分科会に分かれ、学習と運動の交流が行われました。

    3日目の閉会総会で「長崎からのよびかけ」(世界大会長崎決議)が採択されました。
    民商・県連からの参加者の声を紹介します。

    原爆の圧倒的な暴力を感じて 湘南民商 橋本 航さん


    教科書にも原爆の記述はありますが、被爆者の体験談を生の声で聴けたことで、文字を通しての体験よりも深く、苦しみを理解することができました。
    また、原爆資料館を見学できたのも、私にとっては大変、勉強になりました。原爆によって瓦礫だらけの地となった長崎の写真を見ると、原爆の恐怖と圧倒的な暴力を感じとりました。
    そして、この「暴力」に魅了されないように、しっかりと原爆の「恐怖」を伝えていかなくてはならないと感じて帰ってきました。

     

    語り部と合唱が会場を飲み込む 湘南民商 篠崎 一豊さん


    2日目は第8分科会「反核平和の文化」に出席しました。原爆投下後、ふたたび核兵器が使われ七十二年前の事が起きないよう、参加者の実践報告を色々と学びました。そして語り部の方の話が入った合唱に胸を打たれました。
    3日目の閉会式では昨日の分科会より、さらに大勢の人が語り部と共に合唱をおこない、会場を飲み込みました。
    核兵器禁止条約が採択されたことを心から喜ぶと共に、この条約に背を向ける安倍政権に強い怒りを感じ、反核平和運動により力を入れていこうと思いました。

     

    自分に何ができるかを考える 相模原民商 土岐 康子さん


    小6になった娘と一緒に参加しました。
    大会総会では、様々な国の代表の発言に感銘を受けました。そして、多忙な中、駆け付けたという田上長崎市長の「平和のネットワークが網の目となり世界を覆い尽くすような、1日も早い核兵器のない世界の実現へ共に頑張りましょう!」との発言に胸が熱くなりました。
    これから先も平和があたり前の世の中であるために、自分には何が出来るのかを考えさせられる集会となりました。

     

    「ヒバクシャ」の証言を伝える 厚木民商 那須野 章さん


    開会総会では「ヒバクシャ」の方の証言を聞くことができ、また原爆投下直後の数々の写真を見て、誰もがやっていけないことだと感じました。核兵器をなくすことは簡単ではないが、核兵器のない世界を実現しなくてはなりません。
    「ヒバクシャ」の証言に勝るものはありません。「ヒバクシャ」の証言を私たちは語り伝えていかなくてはならないと思います。
    いろんな人の支えがあって、世界大会に参加したことは、これからまた自分なりにがんばっていく力になるような気がします。

  • アドバイスが活動の力に 8月2日民商事務局員交流会

    民商・神奈川県連は8月1日・2日に箱根で事務局員交流会を行いました。事務局員35人(参加率76・1%)と役員3人、計39人の参加でした。冒頭、鎌田会長は「都議選で安倍首相自身にノーの審判が下った情勢をつくる一翼を担ってきた民商運動に確信をもって、中小業者の警衛とくらしを守るために奮闘しよう」と訴えました。

    交流会は「現在の情勢と生き方を考える」をテーマに平和委員会常任理事の川田忠明さんが講演をしました。川田さんは自らが参加した国連会議で核兵器禁止条約が採択された様子を紹介し、被爆者の自らの実体験から発した「核兵器をなくしてほしい」という訴えが、各国の大使の心を揺り動かし「ハートと理性」が一体となったことが採択の力になったことを紹介しました。そして被爆者の運動を支えてきた市民社会の長期にわたる運動の意義を強調しました。また、個人としての幸福を追求する権利が社会を変える大きな力を発揮するとして、情勢にどう向き合うかを提起しました。

    次に生活相談センター相談員の柴田豊勝さんが「相談者に寄り添う相談活動」をテーマに講演。三浦事務局長が都議選後の情勢と民商運動について問題提起をおこないました。

    その後、1つが6〜7人での分散会を5つに分けて延べ4時間おこないました。ある分散会では法人の集団申告がなかなかうまくできないことが話題となり、だれがどう声をかけて、意義を訴えたり、呼びかけをするのかなど具体的に時間をかけて討議したため、「よくわかった。取り組みの参考にしたい」などの意見が出されました。

    「自分のぶつかっている悩みを聞いてもらい、みんなのアドバイスが力になった」「少人数の気軽な議論で、率直に意見交換ができてよかった」などの感想が寄せられました。

  • 新事務局員紹介

    2015年事務局員交流会以降、新たに入局した事務局員を紹介します。

     

    厚木民商 梅津 欣也さん

    局長から声をかけられ、今年1月より入局した梅津です。神奈川の生協で31年勤務しました。生協時代に6年間労働組合専従を経験し、退職後は横浜北部地域ユニオンで執行委員を務めました。民商運動は素人ですが労働組合で経験した相談活動や交渉活動を活かせて行けたらと思います。

     

    川崎中央民商 金井 一彦さん

    今年の4月、川崎中央民商へ入局しました金井一彦と申します。数年前まで建設の労働組合の事務局で働いていましたが、縁あって民商で働かせていただくことになりました。まだまだ未熟ではありますがが、1日も早く一緒に民商を盛り上げていく力になれればと思いますので末永くよろしくお願いします。

     

    大和民商 杉本 裕樹さん

    昨年11月、入局しました杉本裕樹です。父が民商の会員だったのですが、脳出血で倒れ、その際、共済の手続きなどでお世話になった方の縁で民商で働くことになりました。幅広い知識と高い社交性が必要な難しい職業ですが、その分やりがいもあり充実した毎日を送っております。

  • 大和ピースフェアで模擬店出店 4民商の青年部のみなさん

    7月23日(日)に大和駅東側プロムナードでピースフェアが開催されました。ピースフェアは「爆音のない静かな空を!」など厚木基地を抱える大和市を中心に県内の平和・市民団体が毎年行っているもの。今年は民商青年部(横浜南部、横浜西部、高津宮前、大和)も模擬店を出して、参加しました。

    ガーリックフライドポテトや大学イモ、タコセンなどを販売しました。ガーリックポテトと大学イモがとても好評でした。

  • 商売・人生を語る
    「苦難を民商の仲間と解決」 厚木民商 成田 菊也さん
    「成田美装工業」厚木市寿町2-5-21 電話:090-1805-6798

    私は1951年に秋田県鹿角市で生まれました。

    私の生家は農家でお米も作っていました。一家は13の人の大家族で、毎回1升3合の米を焚いていたのを覚えています。

    15歳の時、集団就職で上京し、会社になじめず3ヶ月で会社を辞めました。それから練馬に住む叔父を頼って左官の丁稚奉公を4年間しました。20才で独立して、神奈川県愛川町に越してきました。

    税金の申告が分からず民商のドアを叩きました。それが民商との出会いです。売掛金がもらえず、市県民税や国保料の滞納など大変な事が色々ありました。そんなことを何でも相談して、乗り超えることができました。正直に話せる場が民商であり、心のよりどころです。

    子供の頃、会社勤めは65歳までと思っていましたが、今は職人を何人か抱え、まだまだやっていけると思っています。私たち職人には定年がありません。私の後継者はいませんが、民商役員の後継者も早くつくって、いっしょにがんばりたいと思います。

  • ふいごとそろばん 高津宮前民商 山口 実枝さん

    夫が4月に「脳梗塞」で、緊急搬送されました。幸い後遺症は多少残ったものの、退院の日から毎日会社に出ています。

    ▼そんな夫と一緒の民商人生だなと思います。個人事業から法人成り、小さい子ども3人抱え、雨の日に銀行、役所を回り、お金の工面等々涙が出るほどつらい時期もありました

    ▼今では婦人部の仲間と笑い話として、懐かしんでいる自分がいます。民商と共に年を取ったな〜とつくづく思います。今は息子たちが跡継ぎになり、社長になった息子は見向きもしなかった民商「青年の会」の代表みたいな事をやっています

    ▼やはり私と夫の子です(ウフ)。以前から民商のほうを向いてくれたらな〜とは思っていましたが、親子と言うのは難しいものです。そんな息子が「社長」にるのを待っていたかのように全国業者青年交流会へお誘いがあり「行ってもいいかな〜」「行ってこい!!」の一言に背中を押され参加したのがきっかけでした。県内の他民商との交流もあり、息子自身も感じる事があったのでしょう

    ▼婦人部の仲間と夜になく、昼になく、活動してきましたが、夫の看病もあり、今までのようには行きません。しかし、仲間の力を信じ、支え・支えあいながらもう少し、民商で頑張って行きます。もちろん、夫と息子たちと。

7つのまちがいさがし

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