高山さんは、北海道の奥尻島で漁師をしていましたが、オイルショックで燃料が高騰。漁師だけでは生活が厳しくなり、昭和50年頃から年のうち半年は出稼ぎに出るようになりました。仕事はいつも建設業で、神奈川県内の会社でした。(株)山本工務店で10年、大林道路(株)で7年間働き、その後独立。しばらく個人営業した後、昭和62年、有限会社高山組を設立し、同時に民商に入会しました。
会社は当時、愛甲郡清川村煤ケ谷にあり従業員は10名程おりました。開業してから現在まで仕事はもっぱら大林道路から請けています。会社設立当時、妻の幸子さんは北海道で両親の世話をしてくれていましたが、死去したあと、伊勢原でやっと一緒に暮らせるようになりました。
平成7年、北海道南西沖地震で実家が津波にさらわれてしまいました。義援金で新築しましたが、もちろん住宅ローンが発生します。伊勢原にも住居をもっていたので、二重のローンとなり、その上、代表者の住所が北海道にあったので融資が受けられず、たいへん苦労したこともありました。
現在、会社は伊勢原にあり、仕事はこれまでの経験と人脈で途切れることもなく、融資も取引先の銀行から言ってくるようになりました。3年前、大病を得てから現場を長男に任せ、開業当時からいるベテランを含め13人の従業員が会社を支えています。
9月、伊勢原の後援会による石巻への支援物資の輸送には、できることに協力しようと3トンダンプカーを3日間快く提供しました。
民商共済会のバス旅行などは毎年夫婦揃って参加しています。
神商連しんぶん2011年12月(第252号)より
|