3月11日の東日本大震災で未曾有の被害にあった仙台で昭和9年7月に生まれました。父は私が小学校一年生の時、兵隊に召集され昭和19年に戦死し、母は昭和28年に病死しました。弟と妹は父方に世話になり、私は母方の祖母を頼って上京。大田区池上でしばらく居候し、その後東京で中華の見習いに入り、コックになりました。
三浦市に遊びに来たのは城ヶ島大橋が出来た翌年でした。東京に帰った私に、「三崎に仕事があるからいかないか?」との誘いに何か因縁めいた感じで三浦にきて働いたところが「矢車」です。それから3年後、矢車の先輩だった妻と結婚。
その後、友人に頼まれて横浜へ行き、天竜飯店に勤めました。昭和40年に長男が生まれたのを機に、妻の両親がいる三浦で独立しようということに。独立資金が少なく、三浦でもかなり辺鄙な白須という所での開店に、本当にここで商売になるのか大変不安でした。商売を始めると、不安は的中し、土日以外はまるで商売にならない状態でした。ストレスで胃潰瘍になり、約一ヶ月入院しましたが、妻と妹たちのおかげで店はつぶれずに済みました。
その後は、出前にも力を入れ、また景気も良くなり、税金の心配もしなくてはならなくなり、同じ地域にいた共産党の市会議員の紹介で民商に入会しました。また、民商で知り合った大工さんに店の改造をしてもらい、土日などは店にお客が溢れるほど繁盛しました。
三浦民商の会長になったのは、バブルがはじけた後の平成13年4月。少しでも役に立てるかなと引き受けたのですが、しだいに売上は減り、一緒に店をやっていた次男夫婦も別に勤めを探し、出て行ったので妻と二人だけの一からの出直しを余儀なくされました。そんな事で、民商の活動も思うようにできず、役員さんをはじめ皆さんに大変迷惑をおかけしましたが、色々と助けていただき、心から感謝しております。
昨年の総会で会長を交替し、現在は会計を担当しています。今後も商売を何とか切り盛りし、民商の活動も微力ながら続けていきたいと思います。
神商連しんぶん2011年5月(第245号)より