川崎幸民商事務所から徒歩一分、青いスタンド看板と赤提灯の『居酒屋れい』があります。
小沢礼子さんのふる里は「どさ?」「湯さ」の青森、米どころの津軽地方です。
18才の時に、生まれて初めて乗る電車でふる里を後にしました。就職先は大田区梅屋敷、東芝の下請け家電メーカーでした。23歳で夫、健治さんと職場結婚。しかし、その後、会社は倒産。昭和四九年、兄が営む建設業を手伝うために川崎市幸区に転居し、一人娘にも恵まれました。
『居酒屋れい』のお店は昭和59年、40歳の時。父が総請負で建てた、三階建ての店舗付き住宅を借りる事がキッカケでした。
お酒も飲めない、接客・料理も知らない私に父は「商売は何でも儲かる、料理は何でもいい。何とかなる」と言い、始めたのが『居酒屋れい』の出発でした。
「開業当初は3ケ月で10キロ痩せました。お客さんにお酌をする手が震え、何を喋っていいか分からなかった。お客さんが入ってこなければいいと思った」と開業当時を振り返る小沢さんの話は、嘘のようなホントの話。
小沢さんは14年間、お店以外に長く勤めていたパートの仕事を昨年退職しました。「二足の草鞋を履いていた時は大変だった」と語ります。退職した時はお金の事など心配だったが、時間的な余裕ができて、身体が楽になった分、仕入れや食材に無駄がないよう心がけ、お客さんへのサービスもより一層、考えられるようになったと言います。
お店のモットーはふれあいと和気あいあいの店です。心のこもった手料理や青森から送られてくる山菜料理が酒を囃したてます。
「いろんな人と知り合いになって、相談を受けたり受けられたり。今は不景気でどん底だから大変なのよ。職人には『仕事ある?』会社員には『大変だね、頑張って乗り越えていこう』と話すのよ」とお客さんとのふれあいを大事にしています。
民商婦人部長になって5年目。下平間、古市場地域では『民商』の看板を背負った、歩く広告塔のような存在です。
商売・新聞配布・集金活動・婦人部活動と、まだまだがんばる67才のれいちゃんです。
神商連しんぶん2010年9月(第237号)より
|