二瓶健治さんは22才で電気工事業を金沢区富岡でお父さんから引き継ぎました。電気工事業を行なっていた親父さんが亡くなったためでした。
「電気工事組合でも、若い人で40才代。私は小僧のようなもので、けっこう、いじめられた」と話します。「自分には技術がないから、仕事の応援を頼まれると、知らない仕事でも率先してやって、腕を磨いていった」と二瓶さん。鉄道の通信ケーブルや火力発電所の電線を取り付けたり、ビルの配管をしたりとさまざまな仕事をし、わからない事があると「教えて」とお願いして、仕事を覚えたのが20〜30才代です。おかげで何でもこなせるようになり、請ける仕事は選ばないでしていると、次の仕事に結びつくようになり、今に生きています。
今、ある系列のコンビニ店で電気自動車の充電ができるような設備を置くことを検討しているそうです。高圧電気の設備の試験的な店舗の工事が知り合いを通して、入ってきました。試験的な店舗が成功すれば、仕事は広がります。「初めて仕事をもらったお客さんを大事にする。それが信用となって次の仕事に結びついている」と胸を張ります。
民商は22才の時、「申告の仕方が分からない」とお母さんが住まいである横須賀民商に入会しました。「酒が飲めるし、バーベキューをするから、ソフトボール大会にこないか」と声をかけられたのが民商との出会い。ねじり鉢巻、さらし姿の暴走族ぽい姿で手伝っていたら、青年部を作るときに、「あの威勢のいいのを引っ張ってこい」と言われて、民商の右も左も分からないうちに青年部長になりました。その青年部長になってよかったことは、「全国に仲間ができたこと」。仕事のことでもお願いしたり、されたりできる仲間がいると商売にも幅ができると話します。
全商連総会に向けて、「そうした仲間を広げたい」と抱負を語ってくれました。
神商連しんぶん2010年2月(第230号)より
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