| 異国情緒あふれる港町 |
最終回
鶴見線「国道駅」 |
横浜南部民商 久野光男さんこと
はげまる ピアニスト |
JR鶴見駅から出ている「鶴見線」は 戦前から京浜工業地帯と川崎方面をつな ぐ歴史ある支線である 車がかなり交通手段の中心である現在 今現在では昼間の時間帯は 1時間に2本位しか動いてない のんびり電車
その中で ものすごく渋い駅があります 「鶴見駅」の次の駅 昭和5年にできた「国道駅」 もちろん戦火にも耐えた凄い駅なのです それが証拠に 駅の横上の外壁には 今でも 大戦の時の 米軍機の機銃掃射の弾アトが いくつか残っている
国道駅は 国道15号線に接しています 通称 1国(イチコク 昔の人は みんな そう呼んでいた) フランク永井の「夜霧の第二国道」なんて歌もありましたね
昭和30年代 横浜がナイトクラブ全盛の時代 東京方面から お金持ちの人たちがタクシーに乗って(もちろん首都高速の コの字もない時代)利用した道路であります
この「国道駅」の駅の下の造りは もうたまらなく昭和しているのです
シリーズ横浜めぐり 今回が最終回となりました 永らく ありがとうございました
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横浜 12
都橋商店街
横浜 11
昔の麦田トンネル
横浜 10
バンドホテル
横浜 9
日本のビール発祥の地「麒麟園」
横浜 8
元町プール
横浜 7
野毛の「阿武茶゛」アブジャ
横浜 6
クイーンの塔 横浜税関ビル
横浜 5
「昭和の銭湯」
横浜 4
「ニューグランドホテル」
横浜 3
山下公園・マリンタワー
横浜 2
氷川丸
横浜 1
クリフサイド |
横浜12 都橋商店街
この「都橋商店街」が出来たのは 東京オリンピック(1964年)が開催された頃である
大岡川の流れに沿って なだらかなカーブ状に建てられた総合市場みたいなもので 一軒の店の広さは おおよそ 一坪ちょい ぐらいであると思う
当時は 靴屋さん コート屋さんが多くあり その他 写真屋さん 本屋さん
アメリカ軍の兵隊さんが持ち込んだようなモノ専門の店など いろいろな店が軒狭しと並んでいた思い出がある とにかく他の商店街よりも 安く豊富な品ぞろえで大盛況の時代であった
今現在は 靴屋さんが1〜2軒ぐらいしか残ってなく ほとんどの店が 飲み屋さんと様変わりしているのが寂しい感じがする 二階は昔から飲食街であり これは今と変わってないが 空き店舗も多々ある感じであり 不景気の波は末端の底まで染み渡っているのが強く感じられる 今の日本である 政治が悪いな
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横浜 11 昔の麦田トンネル 若い頃 よく中華街 元町方面に遊びに行った時 麦田のトンネルは なんか怪しくてその先には行けなかった思い出があります
このトンネル 桜木町方面から見ると 左側トンネルに市電のレールが二線ひかれており 右側トンネルには 車道と歩道 二車線(片側一車線)がありました このトンネルは 本牧 間門方面に通じる道であり 1972年(昭和47年)に横浜市電が全廃した後は 左側の市電車線は 車車線に変更されて 現在に至っております
その麦田のトンネルの先には 米軍住宅がまだあった頃で 英語がまるで駄目な はげまるにとってはアメリカに行くみたいな感じで 異国情緒満点の麦田トンネル関所でしたね
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横浜10 バンドホテル
今から40年ほど前 ナイトクラブの全盛の時代 素晴らしいナイトクラブがあったホテルがありました(ナイトクラブとは 深夜営業している クラブ もちろん接客する女性もいました)
ホテルの名は「バンドホテル」 1929年築 バンドとは 音楽関係のバンドではなく ドイツ語の「bund」=波打ち際
ブールスの女王と呼ばれた 淡屋のり子さんが昭和32年に歌って 大ヒットした歌 「別れのブルース」 この歌詞の冒頭 窓を開ければ港が見える メリケン波止場の 灯りが見える という歌詞が出てくる この歌詞は このホテルに泊まった作詞家が ここで書き留めたというのが定説になっている
ここの最上階は 「シェルルーム」という 横浜では有名なナイトクラブがあり そこからの眺めは ほんと 港町感あふれていた なにしろ高速道路がまだ作られて無い時代である すぐ下が海という感じであった
大晦日から元旦にまたがる時間体は 出演しているバンドが 音を止めて 港の船の 一斉の汽笛 「ぼ〜っ ぼ〜っ ぼ〜〜っ ぼぼぼ〜〜〜っ」 を聞いた思い出が懐かしいな〜
平成7年に廃業してしまい 今では「新山下ドンキホーテ」となっている
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横浜9 日本のビール発祥の地「麒麟園
日本でビールが始めて創られたのは 明治5年 ここ横浜
現在の中区北方小学校の坂を登る途中にある工場で 始めて 国産ビールが創られたのです 現在は その跡地に「麒麟園」という 公園があります
麒麟ビール工場跡に 「麒麟園」 という記念公園を作ったのであり 現在大きい記念碑が建っています その記念碑の下のほうにあるレンガは 当時のビール工場の建物跡から見つかった レンガなのです
1872年(明治5年) アメリカ人 ウイリァム コープランドさんが 横浜の各地で どこかビールの製造に適した 湧水はないか と探し回って見つけたのが この地区の湧水であります
コープランドさんが この湧水を 「スプリングバレーSpring valley ブルクリー」と命名 ここに始めて国産のビールが誕生したのです
さらに北方小学校の上のほうには そのビールを作った時の湧水が出た 古い古い井戸が今でも残っております 前に書いた 地下水の「元町プール」の山の反対側からも 横浜の名水が湧き出ていたなんて 歴史のロマンを感じますね
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横浜8 元町プール
元町の山側にある 元町公園 その先に元町プールがあります
このプールには戦前からのレンガ創りの建物が いまだに現役で活躍しております
この建物は昭和5年に建てられ レンガも国産であり 右側の建物の地下には 大きな貯水場がある
そうなのです 元町プールの水は地下水なのです だから ここ元町プールの水は すごく冷たい 真夏の炎天下でも すごく冷たい 流石地下水なのです
この元町プールは横浜市がやっているのですが とにかく 営業している期間がすごく短く 7月の前半〜8月中旬ぐらいである まあ 公営だから損得度外視 気楽営業が基本であり 切符切りのおじさん おばさんも のんびりやっている 場所も静寂 森の中にあり すばらしい解放感溢れる場所であります
この地下水 水質が良いため水が腐らない というので フランス人アルフレッド・ジェラールが横浜港に停泊している船まで運んで商売をしていたそうである このジェラールさんは 商魂たくましく その他 西洋瓦やレンガ工場 軍用日用品供給業 肉屋を居留地で営んでいたそうである
元町プールは 異国情緒を 感じさせる素晴らしい場所です
神商連しんぶん2010年10月(第238号)より
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横浜 7 野毛の「阿武茶゛」アブジャ
今回は 野毛の老舗 野毛の真夜中の有名店(笑い) なんと民商の会員さんでもある
「 阿武茶゛」さんについて書いてみる事にしました 現在の場所に移ってから30数年経っていて その昔は野毛2丁目交差点
(ちぇるる野毛)という大きなビルの通りをはさんだ一角にあった
はげまるも学生時代に何回か行った思い出がある まだお父さんが健在であった頃である
(隣に 現在は ちぇるる野毛にあるタンメンで有名な「大来」があった)
その奥には なんと怪しい温泉 ホモさん達のたまり場 「横浜温泉」なんていうのもあったり
その当時の野毛は 映画館が何軒もあり 小さい飲み屋 食いもの屋さんがわんさかと
ひしめいていて楽しい遊び場でもあった コンビニなんて無かった(あたりまえだ)
その「 阿武茶゛」さん一角付近が火事で消失してしまい 現在の場所に移転したのである
冒頭に 野毛の真夜中の有名店 と書いたが なんとなんと ここ「 阿武茶゛」の開店は なんと深夜 丑三つ時 そう2時半頃から開くのである
したがって 一般人にはなかなか行けないので まあ 野毛の秘境とでも言ったほうがいいかもしれない
客のほとんどは その界隈で仕事を終えた人達であるが 中には昼間の一般人が へろへろで来たりもしている
ここの一番のウリは ここの息子さんが昼間魚屋さんで仕事をしている関係で 新鮮な魚 刺身である
またお母さんが作る カレーライス トンテキ(ポークソティ) おじや オムレツ などは絶品であり とにかく安いのである 水割り二杯 刺し盛り少し 焼き魚定食で 2000円ぐらいである
一度は 寝ないで 又は早起きして行ってみる価値あり! ですね
写真は 壁に貼ってある「昭和の 野毛落語会のポスター」であります
今は亡き 鬼平犯科帳の彦十 江戸屋猫八さんの姿もありますね
しっかり昭和していますね。
神商連しんぶん2010年9月(第237号)より
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横浜 6 クイーンの塔 横浜税関ビル
みなさん知ってますか 横浜市には 「横浜三塔」と呼ばれている塔があります
「キングの塔」がある 「横浜県庁」「ジャックの塔」と呼ばれる塔がある建物
「横浜市開港記念館」
そして今回書く 「クイーンの塔」がある
横浜税関ビルである
横浜税関ビルは1859年(安政6年) なぁんと江戸時代
横浜開港と同時に「神奈川運上所」として開設され
1934年(昭和9年) 横浜税関現本関庁舎(クイーンの塔)竣工
終戦後 アメリカ陸軍第8軍司令部がおかれたりして
まぁ えらく苦労して現在に至ったのである
このクイーンの塔の姿が 映画の中でちょくちょく見られる映画があります
石原裕次郎の 白黒映画 「俺は待ってるぜ」
<1957年(昭和32年)日活 脚本 石原慎太郎 製作 水の江滝子>
この中で この税関のクイーンの塔が近くに見える レストラン「REEF]
を拠点に 映画が進行するのであるが
横浜の50年以上前の その当時の横浜の建物が 沢山見られて 歴史的にも貴重な映画
横浜の異国情緒がどんどん失われていく現在 数少ない貴重なビルである
時間がどんどん速く過ぎ去っていく今 (はげまるが じじぃだからかもな〜)
なんか 昔の映画は のんびり時間が過ぎているな〜
と感じるのは はげまるだけでしょうかね(笑い)
神商連しんぶん2010年7月(第235号)より
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横浜 5 「昭和の銭湯」
今回は 異国情緒と書くより 昭和情緒溢れると書いたほうがいいかもしれない
今 昭和の面影はどんどん失ってきている
横浜の町並みもどんどん変化して新しいビル マンションなどが乱立してしまい まあ 無秩序状態 当然昭和の町並みは消えゆくノミである その中でかすかにその昭和の香りを残しているのが「昭和の銭湯」である とうぜん銭湯を改装してスーパー銭湯になったり そのまま廃業して駐車場やらマンション ビルになってしまった銭湯も多々ある しかし 今現在でも頑張って昭和の香りが残る銭湯があるのもうれしい はげまるの幼少期から中学生ぐらいまでは 家の中にお風呂があるなんて もう夢のまた夢の時代であった 昭和の銭湯=木創り そして天井が高く おまけに 銭湯絵が必ず描いてあった なかでも富士さん絵が半分ぐらいは占めていた感じである
とくに一番風呂はいい 高い天井の天窓から溢れるくらいの光が差し込んでくる 銭湯絵の富士山なんか眺めながらの一番風呂は これに勝るものなし「あっぱれ あっぱれ」と お代官様になった気分になれる みなさん今現在 横浜市には何軒ぐらいの「昭和銭湯」があるのか知っていますか?
昨年の今頃で 約70軒ぐらいであったので 現在ではもっと少なくなっていると思う
はげまる 実は 2006年9月〜2009年4月まで 横浜銭湯完全散策 というのをやりました なにしろ散策している期間に7〜8軒がもう廃業してしまっているのです みなさん 無くなる前に是非 昭和の銭湯に行ってみてくださいね
一番銭湯が多い区は 鶴見区 南区です 興味がある人は はげまるのブログを見てくださいね
http://blog.goo.ne.jp/hagemaru1948
神商連しんぶん2010年6月(第234号)より
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横浜 4 「ニューグランド ホテル」
今回は 明治時代から現代まで 横浜ホテルの老舗「ニューグランド ホテル」について書く事にする
明治時代は「グランドホテル」と言う名前であったのだが関東大震災で倒壊してしまい 名前を「ニューグランド ホテル」となった
とにかく戦前の外国人旅行者にとって 横浜の顔 横浜の社交場であり 第二次太平洋戦争が終結して マッカーサー司令官もここ 「ニューグランド」に泊まりながら仕事をしたのである
マッカーサーさんは 515号室がメインで 予備で316号 317号を利用した と書いてあった
現在でも 「マッカーサールーム」という部屋が残っている 天井が 凄く高く 内装も豪華である
二階に上がってみると とにかく天井が高く すべて木創りであり 今時の港未来地区の近代的な香りは皆無である (新館は知らないが)
昨年 横浜開港150周年記念で 「ニューグランド」の中で昔の写真を見る事が出来た 明治大正時代の 女性の給仕さんなどは みなさん和服姿 そして若くて美人が多い
きっと 昔のデパートガールさんみたいに 美人でなければ採用不可だったのかもな(わらい)
面白いのは バーの写真であった
横浜の戦前からのバーの カゥンターに椅子がないのが普通であった
ここ「ニューグランド」のバーも椅子が無いのである そして足を掛ける 金属の足かけ棒が見て取れる
そう西部劇と同じ クゥンター椅子無し ななめ飲みが基本である
西部劇の場合 なにしろ椅子に座って前向いて のんびり飲んでいると 後ろから ババーン と撃たれてしまうからかな〜なんて思ったりもする
もちろん今はそのバーはありませんがね
飲んでみたかったな〜 なんて思ったりもする
神商連しんぶん2010年5月(第233号)より
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横浜3 山下公園・マリンタワー
前回は 氷川丸について書いたのですが
一昔前 横浜の観光名所と言えば 氷川丸が停泊している 山下公園とマリンタワーであった 今回は マリンタワーと山下公園について書く事にします 山下公園は はげまるが まだハゲていない小学校2年生の時に遠足で行った思い出がある 記憶では 山下公園の三分の一ほどが米軍住宅であった その時 生まれて初めて アメリカの子供をフェンス越しに見たのである「ひぇ〜 目が青いぞ〜 わあ〜ぃ わ〜ぃ」と友達とフェンスに群がった記憶がある 緑の芝の中に そこそこ綺麗な大きな住宅 夢のような景色であったのである
さて マリンタワーの話をしますね
マリンタワーは横浜港開港100周年を記念して建てられた 港横浜のシンボルである 昨年は 開港150周年の大イベントが開かれたが 新しい建物は無しで 外国からデカイ蜘蛛のロボットでお茶を濁したりした おまけに大桟橋裏の唯一残っていた倉庫群を壊して整地してしまって 異国情緒がどんどん失われていったのは残念である 国政と同じ無責任に 責任者の中田市長や副市長まで 敵前逃亡であるのが悔しいのである「横浜の港を お台場化した責任者 出てこ〜い この〜」
さて40年前ぐらいのマリンタワーを描きました
山下公園には「貨物高架線」がまだ走っていて その下には屋台が沢山並んでいた もちろん ミナト未来地区やら ベイブリッジなんか無い(あたりまえか)マリンタワーの展望台からみた ミナト横浜の景色は万点でありましたね そして 昔の赤と白のマリンタワーが一番 横浜していると感じるのは僕だけではない事でしょう 現在は3度目の塗り替えられたマリンタワーであります
神商連しんぶん2010年4月(第232号)より
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横浜2 氷川丸
一昔前 そう20年ぐらい前 みなと横浜の 顔 有名人 は山下公園 マリンタワー 氷川丸 は三大主役であった それが みなと未来地区(MM21)にその主役の座を渡してから 氷川丸 マリンタワーともども 持ち主の会社が負債をかかえ
存続の危機さえあったのだが 現在違う会社がなんとか再生させて 頑張っているので ひと安心である
はげまるが若いころ そう40年前ぐらい 氷川丸の中の エレキギター・ダンスパーティに友達と遊びに行った思い出もあり 今でも元気で停泊している姿を見るとなんか ほっとして 胸が熱くなる感もある
さて 氷川丸は1930年就航 シアトル航路が中心であった1932年には あのチャーリーチャップリンやら イギリスの国王も乗船している 1941年太平洋戦争が激化してくると おもに引き上げ船として又は病院船として南太平洋>日本を238往復 25000人もの日本人を運んでいる
えらいくしぶとい船である
なんたって ほとんどの船が 沈められた中で 無事仕事を果たした船であり現存する戦争の生き証人でもある
操舵室に入ると 後ろに 氷川神社の大きめな神棚がある きっと戦争中 船長さん他 乗り組み員全員で 航海の無事を祈ったんだろうな
なんたって 敵の潜水艦がうじゃうじの中を 航海するのだから お〜っそろしか〜
改めて ここ65年間 戦争のない 日本の平和に感謝するとともに「平和憲法第9条は 全世界にほこる憲法なのだ」 と痛感するのである みなさん 氷川丸に行ったら「お前 偉かったね^」と声の一つでも かけてやってくださいね 平和に感謝
神商連しんぶん2010年3月(第231号)より
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横浜 1 クリフサイド
昨年は横浜開港150周年という華々しい行事が開催されましたが、横浜市民の関心が薄くイベントも散々市民の税金無駄使い、責任者の中田市長さえ敵前逃亡おまけに副市長まで後に続け、まったく責任の所在さえ明らかにされないまま国政得意のうやむや戦法、と相成り候。
てな事で「開港150周年異国情緒あふれる港町横浜番外編」としてはげまる独自の視線から数回に渡って、書いていく予定でおります。よろしく
今回は前置きが長くなりましたので 軽く行きます
今から60年前以上 そう終戦後 アメリカの進駐軍が 横浜にわんさかわんさかの時代 沢山の外人さん専用ダンスホール兼社交場があった
元町の上の坂のあたりにもクリフサイドという ダンスホールがあり フルバンド(大編成バンド)とコンボバンド(小編成バンド)が交代で演奏して 天井には大きなシャンデリア もちろん ダンスの相手をする 日本人女性も わんさかいたのである
なんか華やかで 異国男女友好密着ダンス大会みたいだが そう 終戦直後の 戦争が終わったのだ という高揚感 希望 さあ日本の未来はバラ色だ〜 なぁんて思っていた時代である (バラ色の人生なんて無いのがこの世である。)政治が悪い
さてその クリフサイド 現在の横浜で現存する 昔のままのダンスホールなのです
毎日営業していて 月一度のダンスパーティがあり 異国情緒満点の場所間違いなし
神商連しんぶん2010年2月(第230号)より
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